帝王妃ソフィーダ
外伝
レギオン家のソフィーダ

 親子はそれから輿に乗って王宮へと向かった。
 リヤドは二の大臣なのでかなり奥まで輿に乗って入ることが出来るが、さすがに帝王がいる建物の正面までは許されない。その少し手前の門で降りた。
 ずっと輿に乗っていてそろそろ飽きていたソフィーダは、外に出て王宮の広さと華麗さに目を丸くする。
 「お父様、王宮って本当に広いのね!」
 「そうだよ。だから迷子になりやすい。気をつけなければいけないよ」
 「はい」
 既に多くの奴隷や文官たちが出迎えにきている。ソフィーダは背筋をしゃんと伸ばし、なんとなく気取った。
 そのままムスティールとソフィーダはリヤドの後について帝王のもとに向かった。
 ソフィーダは気後れすることもなく、しっかりと兄の後からついていく。
 他人の目線を沢山感じるが、どうということもなかった。それより、広大で美麗な王宮の建物に目を奪われないようにする方が大変だった。
 兄は兄でしっかりと歩いている。王宮に来るのは初めてではないのだった。
 やがて小さめの部屋にたどり着いた。
 小さいと言っても庶民のそれとは比べものにならず、この広大な王宮の中では小さいというだけに過ぎない。
 「ここで、しばらく待つのだよ」
 帝王に来訪を告げる侍従が下がった後、父リヤドがそう教えてくれた。
 「いろいろ、大変なのねえ」
 ソフィーダがませた口調で言う。父も兄も笑ったが、本当にソフィーダはそう思ったのだ。
 誰かに会うのにこれほど色々面倒だったことはなかった。
 「それだけ帝王はお忙しいのだ。なにしろカリューン信徒の長でいらっしゃるのだからね。お会いしたいという者も多いのだよ」
 「人気者なのね」
 「…ちょっと違う気もするが、はずれてはいないな。さ、ソフィーダ。いつお呼びがあるのか分からないのだからじっとしていなさい」
 「はい」
 と言いつつ子供のことなのでソフィーダはさすがにじっとするのに飽きてきた。集中するにも限度がある。
 まして人目がなくなったので気取っている必要もないのだった。
 ムスティールはいかにも飽きた風情のソフィーダを見て笑う。いい服を着て、上等の椅子に座りながら脚をぶらぶらさせているソフィーダは、全く絵画のようだった。
 ソフィーダがたっぷり十回は「まだ?」と聞こうとして呑み込んだあたりで、やっと侍従がやってきた。
 待ちくたびれていた彼女は、一番に椅子から降りて侍従の後にはりつく。
 「ソフィーダ、お前はお父様の後にいなさい」
 「…」
 不満そうな顔をしながらソフィーダはリヤドの後に下がった。
 またそこから長い廊下をうねうねと歩んだ後、やっと応接室にたどり着く。
 公式の謁見の間ではない。ごく私的な訪問なので、そういった場所は使わないのだった。
 やっと帝王に会えるのかと思っていたソフィーダは誰もいないのにがっかりした。どうやらまだ待たなければならないようだ。
 側にいた兄の衣をひっぱる。
 「どうしたの?」
 「まだなの…?」
 「もう少し待とうね。これだけ待てる小さい子はそんなにいないよ。ソフィーダは、えらいね」
 「わたくし、お兄様が思っているほど小さい子じゃないわ」
 母の真似をしてソフィーダのプライドをくすぐろうと思っていたムスティールは、見事に失敗した。
 仕方ないので父に任せることにする。
 「ソフィーダ、こちらに来て座っていなさい」
 「…座っていなければ駄目?」
 「駄目だ」
 「…」
 ソフィーダはしぶしぶと座る。先程からどうも面白くない。
 これ以上待たされたら帰っちゃおうかな、と思ったのだが今度は幸いそれほど待たされずに済んだ。
 とうとう帝王のお出ましである。
 初めて見る帝王は少し怖そうな人だった。母の兄だと聞いていたがあまり似ていない。
 謹厳そうなはっきりとした顔立ちで、いかにも帝王といった風情だった。
 「マジェスティにはご機嫌麗しゅう」
 リヤドが立ってきちんと挨拶した。ソフィーダ、ムスティールも頭を下げる。
 「おお、待たせたなリヤド。少し政務が長引いてな。ムスティール、息災だったか」
 兄のムスティールは既に帝王に謁見したことがあったのだった。
 「はい、マジェスティ。ありがとうございます。マジェスティもお変わりないようで何よりです」
 「相変わらずしっかりしている。リヤドは安心だな」
 「いえいえ、まだ何分若輩者でございます。マジェスティのお役に立てるのはまだまだ先でして、お恥ずかしい限りです」
 「左様か」
 帝王はそれから椅子に座り、ムスティールの側にいた小さい女の子に目をとめた。
 「おお、これがアニスの娘か。アニスの小さい頃にそっくりだ」
 目を細めて笑う。ソフィーダはにこにこと笑っていた。母の言いつけを守っているのだ。
 「名は何と言ったかな。許すゆえ、自分で答えてみなさい」
 そのとき当のソフィーダより緊張したのは、リヤドだったかもしれない。
 「ソフィーダ・レギオンと申します。マジェスティ」
 「そうか」
 笑いながらはきはきと言うのは難しいな、と呑気なことを思いながら返答したソフィーダに、帝王は満足そうにうなずいて見せた。
 「アニスよりよっぽどしっかりしていそうな娘だな。どれ、こちらに来なさい」
 さあ困った。やっぱりちょっと帝王は怖い。でも笑顔は保たなければいけない。
 ソフィーダはまるで人形のようにとてとてと帝王の側に行った。
 「なるほど。この先どれだけ美しくなるかわからんな。素晴らしい。なあソフィーダとやら、皆からよく可愛ゆいと言われるのではないか?」
 「はい、言われます」
 「この王宮は気に入りそうか?」
 「全部見ていないので、わかりません」
 リヤドもムスティールも、許されれば天を仰いでばったり倒れたい気分である。
 「もっともだな。…ときにソフィーダ、そなたはどうしてそうとってつけたような笑顔をしているのだ?」
 「お母様とお約束したからです」
 ― 否定するのだソフィーダ!自然な笑顔だと主張しろ!
 リヤドの心の叫びは、愛娘までは届かない。
 「では今そなたはどんな顔をしたいのかな?」
 「…」
 ソフィーダはちょっと考えた。どんな顔、と言われても困る。
 「ほらソフィーダ、表情が変わってしまったぞ。考え込んだ顔になった」
 「!!」
 「母上との約束を破ってしまったな。どうする?」
 帝王にしてやられてしまった。ソフィーダの顔にみるみるうちに怒りがあらわになる。
 泣き出さなかったのはソフィーダならではだった。
 リヤドもムスティールもどうなることかと心臓を止めそうなほど心配したが、ソフィーダはぐーっと怒った後、にっこりと笑った。
 「気のせいです、マジェスティ」
 一瞬帝王はあっけにとられた後、破顔一笑する。ソフィーダを抱き上げ、
 「気に入った。リヤド、これは間違いなく帝王妃の器だな。この年でもうこんなに肝が据わっている娘などそうはおらん。よかったよかった」
 「左様で…」
 リヤドはそう答えるのが精一杯だった。全く、心臓に悪い娘だった。

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