「全く、何てことをしてくれたんだ。何もあんな手段に出なくったって」
お怒りなのは五の大臣、ジール・ガリスである。
王宮に帰ってくるまではずっと黙っていたのだが、帰ってきてからはずっと荒れているのだった。
ちなみにここは帝王の寝室。人払いはしてあるので、居るのはアード、ジール、サラディンの3人である。
あのあとは全く大変だった。
奴隷を買う手続きをするときに必要な身分証明書はサラディン自身のものだったので、警察総監ともあろう人が奴隷を「献上」する相手は誰だ?ということで大きな騒ぎになり、その場を収集するのにジールはひとかたならぬ苦労をしたのだった。王宮に帰るまでも人についてこられないようにする為に苦労をした。
「すまない、ジール」
サラディンも、さすがにすまなそうな表情をしている。…あまり普段と変わらないのだが、感情が表に出にくいサラディンにしては、表情を浮かべていること自体が珍しい。
対極にあるのはアードで、さっきからにやけっぱなしである。政治の場は抜きとして、基本的に感情を隠すことが出来ないタイプだ。
「まあまあ、怒るなジール。サラディンはサラディンなりに一生懸命やってくれたのだ。うん」
「ちっともしまりのない顔で言わないで下さい」
「済んだことは仕方なかろう。タチアナも俺じゃなければ嫌だと言ったのだし。大体お前、美女の頼みを断るというのが男にとってどれだけの屈辱かということが分かってないんじゃないか?」
「頼みを断るとは言ってません。もう少し上手いやり方があったのではないかと言いたいだけです。これからは奴隷市場にマジェスティをお連れするわけにはいきませんね」
「冷たいなー、ジールぅ…」
「とにかく」
帝王の嘆きを大胆にも無視して、ジールはサラディンに向き直った。
「サラディン、あの女奴隷は今日中に売り主から君の屋敷に届けられるんだったかな?」
「そうらしい」
「結構。では明日それを連れて僕の屋敷に来てくれ。マジェスティへの献上だから、支度金も忘れずに。それと、君からは奴隷に何も説明する必要はない。僕が何とかする」
「分かった」
「ジール、タチアナに何を言うつもりなんだ?」
アードが口を挟んだ。ジールは溜息をひとつつくと、ずれた眼鏡を直し、
「色々と説明しなければいけないことがあるのですよ。マジェスティがどうしても欲しい、とおっしゃる奴隷ならばね。
それよりマジェスティ、あなた様は今日中にマジェスティーナを説得する、という大仕事がおありになるのを分かっていらっしゃいますか?」
「なーんで俺がソフィーダを説得する必要なんてあるんだ?」
「後宮では、マジェスティーナの心証が第一です。だからこそ、今までの妾は居着かなかったのでしょうに。今回も同じでいいのですか?」
「よかあない」
「だったら、ソフィーダ様の御機嫌をきちんと取っておいて下さい。多分、ソフィーダ様の歓心なしにあの女奴隷を後宮に留めるのは、カリューンにだって出来はしませんよ」
「…」
アードはものすごく渋った顔をした。が、ジールの言うことはもっともである。
めんどくせえなあ全く。帝王は寝台にごろごろと転がった。
その夜、帝王妃の寝室。
ソフィーダは、寝台とは別の長椅子の上で女奴隷たちが奏でる音楽を楽しんでいた。
夜に相応しく、しっとりとした小夜曲である。
趣味が高雅なことでも知られるこの帝王妃は、音楽についても確かな耳を持っていた。更に、側においている女楽師たちはいずれも見目よい上に演奏の腕も確か、という条件を満たしている。
そして帝王妃の側には勿論、一番のお気に入りであるレーゼがいる。彼女はソフィーダの爪を慎重に磨いていた。
とまあ優雅な夕べであるが、勿論帝王妃の心中は穏やかではない。
昼間のことがまだ引きずっているのだ。
何なのよあの奴隷は全く。そして、マジェスティにサラディン。
今一番ソフィーダの近くにいるレーゼはソフィーダの怒りのオーラを感じ、賢明にも何も言わずにさこさこと爪を磨いていた。
その時、奴隷頭がソフィーダの前に跪いて礼をした後、帝王が来ている旨を告げた。
「マジェスティが?ええ、勿論構いませんとも。わたくしの扉はいつでもマジェスティの為に開かれていますもの。御出でになるようにお願いして頂戴」
にっこりと帝王妃は微笑んだ。
「よう、ソフィーダ」
「マジェスティには御機嫌麗しゅう」
一応レーゼが爪を磨き終わるまで待ってから、アードはずかずかと入ってきた。そのまま長椅子に寝そべっていたソフィーダをひょいと抱え上げ、寝台に連れていく。
それをしおに、奴隷達も下がった。
広い寝室は、アードとソフィーダの二人きりになる。
「よーいしょっと」
ソフィーダを寝台に放り出して自分も一緒に倒れ込み、とりあえずキスをした。
寝台のはるか上にある天窓から薄明かりがさしこむおかげで、真っ暗にはならない。
アードはソフィーダを組み敷いたまま、
「今日はごめんな」
「何のことですの?」
「俺の妾を追いだした、なんて疑って。すまない」
「いいえ、別に。お気になさらないで下さいませ」
「…」
しばらくののち、アードはごろんとソフィーダの横に転がった。
「物分かりがいいなあ…どうした?」
─ 鈍いわけじゃないのよね、マジェスティは…。
「それではわたくしがいつも物分かり悪いようではないですか」
「そう言うと身も蓋もないけど。…何か、妙にけなげで気味が悪い」
「失礼なマジェスティ」
ソフィーダは、寝返りをうってアードに背を向ける。アードはすぐに抱き寄せて無理矢理自分の方を向けてから、
「怒るなって。な?」
「怒ってませんわ」
「…ならいいけどさ。えーと…まあとにかく、ごめんって」
「新しい妾も増えますものね」
「!?」
面倒になったソフィーダはずばっと斬り込んだ。
心臓も凍る思いをしたのはアードである。
「な、何でお前それを…」
「奴隷市場というのは、たいそう楽しいところらしいですわね」
「!!??」
にっこり。 とソフィーダは笑った。
美人の笑顔というのは、使いようによっては容易に人を凍らせることが出来る。
だが、アードには少し効果が薄かったようだ。彼は呆然としながらも、
「いや、あの…とりあえず…。
何で?」
何で、ですって?ですって?ですって?
ソフィーダは頭にかっと血がのぼった。がばっと寝台の上に起き上がり、
「そんなことはこの際どうでもよろしいでしょ。マジェスティ、一体どういうことですの!?次から次へと全く飽きもせずに」
「飽きる前にお前が追いだすからだろうがっ!」
「先ほどわたくしのせいにして悪かったとおっしゃったのはどこのどなた!?」
「人が下手に出てりゃつけあがりやがって、妾を取るのは俺の権利だ、がたがた言うな!」
「義務ではありませんでしょ?どんどん食い散らかして、お行儀の悪い」
「行儀ってお前、そういう問題か?」
「そういう問題です!」
2人は寝台の端と端に分かれて、はっしとにらみ合った。
しばらくののち、
「よぉぉし、覚えてろ。カリューンにかけて、タチアナは追い出させん。絶対だ。いいな、ソフィーダ。妾を取るのは俺の権利だ!」
「結構ですわ、何人でもお取り遊ばせ。せいぜい逃げられないようにすることですわね!」
「お前が追いださねえ限り、逃げんだろうよ!」
アードはそのまま勢いよく寝台を降りる。
ソフィーダはその背に向かって思いっきり舌を出した。
「…何かしたか」
「いえ何も」
「…」
帝王は足音も荒々しく、部屋を出ていった。
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