帝王妃ソフィーダ
第三十四話

 「使者は、呼ばれてからこの場にお入りいただこうか」
 ジールの言葉に耳も貸さず、ベヴィア・マイアはアードの元に進んできた。
 ローブで隠れがちだったがその右手はなく、ぐるぐると白い布が巻かれている。
 あの高さから落ちてどうやって助かったのか疑問だったが、この老婆ならなんとかできるのだろう。
 しかし、近くで見ると実際これ以上はないというほど不気味な老婆だった。
 「まあいい、ジール。なぜいきなりフィオルナから使者が来られたのか俺には皆目見当もつかないが、何か重要な用事があるのだろう。聞くだけ、聞こうか」
 「…分かりました」
 ジールは一礼して、黙る。ジール以外の大臣は ─ まだ全員揃いきってはいなかったが ─ 先日のことも知らないので、何故今フィオルナから使者がくるのか本当に「皆目見当もつかない」状態だ。ソフィーダの父である二の大臣、リヤド・レギオンもその一人である。
 「この婆の顔をお忘れになりましたかえ、レスト・カーンの王よ」
 「さあ、お前のようなものに会ったことはないな。無駄口はいいからさっさと口上を述べてくれないか」
 ベヴィア・マイアは不気味に微笑んだ。
 彼女のことを知らぬ者たちも、その雰囲気でぞっとする。
 「では、我らがフィオルナの王妃、タチアナ・ディアナ様をお返し願いたいのですじゃ」
 さすがに大臣たちがざわついた。
 ─ そうきたか。
 「タチアナ・ディアナ?」
 アードはゆっくりと玉座に肘をつき、手を頬に当てる。
 「こちらで、寵姫の位とやらを与えられたタチアナ様ですじゃ」
 そしてベヴィア・マイアは先日タチアナがレーゼに話したことを、そのまま喋った。
 大臣全てが聞いてしまっては、もみ消すわけにもいかない。
 ─ ちょっと困ったなあ。
 既に死亡発表もしてあるのだ。
 「そのようなわけで、お返し願いたいのですじゃ」
 「返せと言われても既にこちらでの位も与えてある。知らなかったことでもあるし、そう言われても困るな」
 「では、重婚の事実は認められるのですな」
 「マジェスティーナにしたわけではないから、それはどうかな」
 「しかし」
 また老婆が不気味に笑う。
 「こちらにいらっしゃることは少なくともお認めになっている。
  そういえば先日、寵姫のどなたかが亡くなられたという発表があったようですがな…」
 やられた、とアードは思った。下手にジールに視線をうつすわけにはいかないが、きっとものすごく睨まれているのだろうという予想はついた。
 全く御門違いではあるが、先日フィヤンが手配したと言っていた魔霊の結界をさっさと張ってくれていればよかったのにとも思った。そうすればこの不愉快な老婆は入ってこられなかったはずなのに。あと少しで完成するはずだった。
 「それだけ聞ければ十分ですじゃ」
 「どういう意味だ」
 「亡くなったものを返していただけるとは思いませんのでな…」
 老婆の言葉が終わる前に、一人の兵士が慌てて政務の間に駆け込んできた。
 「マジェスティ!!」
 「控えよ、今フィオルナより使者が来ておる」
 「フィオルナから!?」
 兵士の顔色が変わった。
 「どうした?」
 アードが遠い入り口に声を投げる。
 「マジェスティ、ルッテル・ドナ沖に、フィオルナの大軍が攻め込んできております!!」
 「!」
 驚いた人々が使者からベヴィア・マイアに視線を戻した時、もう既にかの老婆の姿はかき消え、後には一通の書状のみが残っていた。
 百合をかたどったフィオルナの紋章で封印されているそれは、見ずとも中身は知れる。
 宣戦布告だ。
 ─ そう、きたか…。
 二度目のその言葉を、アードはさっきよりももっと苦渋をもって心の中で呟くことになったのである。

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