帝王妃ソフィーダ
第三十二話

 レスト・カーン王宮。
 一行は出発したときと同じ、宝物庫のすぐ側に「鉄の馬」で降り立つ。
 一の大臣フィヤン・ガリスが、一行の帰りを今や遅しと待っていた。
 「マジェスティ、マジェスティーナ、ご無事で!」
 「待たせたな、フィヤン。ご苦労だった。変わりないか?」
 「とりあえずは。ですがこれ以上異教徒の進入を許さぬよう、念のため祭祀所に、マーリド(魔霊)の結界を張るよう要請してあります。なにしろ最上級の結界なので、張るのに大神官、神官を総動員しても三、四日はかかるようですが…仕方ありますまい」
 「ありがとう。上出来だ」
 やはりフィヤンはただ待っているだけの大臣ではなかった。
 「それにしても…大変だったようですな」
 フィヤンは一行の様子を見てしみじみと言った。
 無理もない。
 アードは衣服も乱れ、かつらはなくなっている。化粧もはげ落ち、行くときには「美女」だったのが、今は「女物の服を着た男」とはっきりわかる有様だ。
 ジールとサラディンは返り血を浴びて真っ赤である上に、数ヶ所に軽い怪我もしている。レーゼも必死に「鉄の馬」にしがみついていたので、体力を消耗しきっている状態だ。
 まあ無事なのはソフィーダくらいのものであると言ってよかった。
 そして、
 「マジェスティ。もう王宮に帰ってきたんだから、僕は戻っていい?」
 マールザワーンが姿を現し、とんぼがえりをうつ。
 「あ、ああすまん。ありがとうな。助かった。祭祀所に戻ってムスティールに解放してもらってくれ。悪かったな」
 「僕は命にしたがっただけ。じゃあね、マジェスティ。あ、目の色は戻しておいたよ」
 魔神が消えると、アードは一息ついてから、
 「よし、皆ご苦労だった。ひとまず解散。今日こそ朝まで寝よう」
 言って大きなあくびをしたのだった。



 ソフィーダとレーゼは後宮に帰った。
 レーゼから自分が攫われた後のことを聞いていたソフィーダは、タチアナの死を聞いてさすがに目を伏せた。
 自業自得だとは思う。思うが…可哀相だとも思うのが人情だ。
 「わたくし、今だから言うけどあの女は本当に嫌いだったわ。
 でもそれでも、同じ殿方を愛した女だからなのかしら。しみじみした気分に…なるわね」
 「はい」
 レーゼは言葉少なに、返事だけをする。
 「どうしたの、レーゼ」
 ソフィーダは長椅子に寝そべったまま、手を伸ばしてレーゼの頭を撫でた。
 いつもだったら甘えて柔らかくなついてくるレーゼが、今日は辺りに他の奴隷もいないというのに、頑なに雰囲気をくずさない。
 「気分でも悪いの?怖い目にもあったでしょう。可哀相に。お前を連れてくるなんてマジェスティもひどいわ。でも、お前の顔を見たら安心したのよ、ヴァン・レーゼ。ありがとうね」
 「ソフィーダ様」
 レーゼは胸がいっぱいになる。
 「そんな、そんなお優しいお言葉…かけないで下さい。私は…」
 「だめよ、レーゼ」
 ソフィーダが、不意に遮った。
 「言わなくとも分かります。レーゼは責任を感じてわたくし付の奴隷であるという地位をはずしてもらうか、最悪、死をもって贖うつもりでいたのでしょ?」
 こくり、とレーゼはうなずこうとしてやめた。大きな目に涙がいっぱい溜まっている。ここで泣くのは我ながら卑怯だと思うので泣かずにすませたいのだが、涙の方が勝手に出てくるのだ。このままうつむいたら、涙があふれてしまう。
 「ばかな子」
 ソフィーダは笑って強引にレーゼの頭を抱き寄せた。
 「そんなことをしたって何にもならないわ。わたくしが嫌な思いをするだけよ。分かるでしょう?  あのタイミングでわたくしが攫われてしまったのは仕方のないことだったの。元々の原因はタチアナにあるのだし、レーゼは何も気に病むことはないのよ」
 「…」
 「気が済まないの?」
 「…」
 「では、命令よ。もう気にしては駄目。分かった?」
 「そんな。勿体ない…」
 「何を言ってるの。フィオルナまで来て…それにこの顔。殴られたのではないの?可哀相に、大変だったでしょう。もうそれで十分よ。それに、地位を外れるとか死ぬとかの方が本当はずっと楽よ。でもわたくしはそうさせないの。意地悪でしょう?」
 「…」
 いたずらっぽく笑ったソフィーダを、やっとレーゼはまっすぐ見つめることができた。
 涙いっぱいの瞳のまま、無理に笑う。
 「いいえ。望むところです、ソフィーダ様」
 「いい子ね、ヴァン・レーゼ」
 ─ もう私はこの御方から一生離れない。ずっと、今まで以上に心を込めてお仕えするんだ。
 絶対に、決めた。
 心を決めたレーゼは、抱き寄せてくれたソフィーダの温かい手をずっと一生、忘れないのだと思った。

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