そして寝所に帰ったアードだったが、結局はいつもより早い時間に起こされることになった。タチアナの死が報告されたのである。
さすがのアード・アル・レストも憤慨し、書庫に居た大臣親子を呼びつけた。
「これだけ後手に回ってるってのは俺の性にあわん。頭にきた」
「どうなさるおつもりなのです?」
「ソフィーダを取り返す」
「そんな、どうやって?」
ジールの問いに、アードは割と真面目な顔で言った。
「フィヤンとジールが二人がかりで一晩調べて、何も分からなかったわけがあるまい。ソフィーダの居場所は、だいたい掴めているんだろう?」
大臣親子はしょうがないですね、というように軽く息をついた。
「予想としては。ただ、どうやってそこにソフィーダ様がいるかを確かめるか、いらしたとしてどうやってお助け申し上げるか、が問題なのですが」
「細かいことをぐだぐだ言うな。大丈夫だ、俺に考えがある」
「考え…?」
親子共々嫌な予感はしたが、仕方ない。
「で、どこにいるんだ?」
重ねての問いに、とうとうジールが折れた。
「おそらく…マルク灯台だと思われます」
マルク灯台。
レスト・カーンとフィオルナは、湾を挟んで向かいにある国である。
そして、マルク灯台は地形的にレスト・カーンに最も近いところにある灯台であった。
「鴉の目」について書かれた報告の中に、かの地名が一度出てきたのである。
その時は、レスト・カーン内に入り込んでいた「鴉」の一人が正体を看破され、自身を鴉に変えてその灯台に逃げ込んだらしい。
ふーむ、とアードが唸った。
「ひとまずはそこにおられるでしょう。ただ、他に移される可能性もありますが」
「だったらなおのことぐだぐだ言ってる場合じゃないだろう。じゃ、行くぞ」
「どちらへ?」
大臣親子が異口同音に発した疑問に、アードはめんどくさそうに答えた。
「祭祀所」
祭祀所では、ムスティールが執務室に居るまま眠れぬ夜を過ごしていた。
ジールとフィヤンを従えたアードが入ってくると、慌てて立ち上がる。
「マジェスティ…」
「居てくれたか、ムスティール。良かった」
「は、いえ…」
「期待をしていたなら申し訳ないが、事態は一向によくなっていない。むしろ逆だ」
「そうですか…」
予想はしていたが、ムスティールはがっくりと肩を落とした。ソフィーダの安否を案じる心は、アードのそれと変わりはない。たった一人の可愛い妹だ。
「なにしろ、イーエンが殺された」
「は!?」
ここで、ジールがアードに替わって寵姫殺害の話をする。
さすがのムスティールもあっけにとられた。
「さて、そういうわけで俺としてはもう我慢ならなくなったので。さっさと実力行使に出ようと思ったわけだ」
「…と、申されましても…如何様に?」
「ふふん」
アードは悪戯を企む子供のようにふふん、と笑った。
「『鉄の馬』だ」
「『鉄の馬』?」
その場にいた、アードを除く3人が異口同音に言う。
「おう。我がレスト・カーン王宮の宝物庫に古来より伝わる、魔法のかかった空飛ぶ馬。あれでマルク灯台まで行こうと思う。ついてはムスティール、行くときにジンに道案内と護衛をさせたいので、宜しく頼む」
「と、おっしゃられましても…」
かろうじて言葉だけは発すことが出来たムスティール。あとの2人は声も出ない。
言うことが多すぎて、どこから手を付けていいのか分からない状態だ。
「…あー…」
ごほん、と咳をしてからジールが口を開いた。アードの突拍子のなさに一番慣れているのは、やはり彼だった。
「とりあえずマジェスティ。御自身で行かれるおつもりで?」
「当然だ」
「…御自身で行かれる必要など、全くないではありませんか」
「夫が自分の妻を取り返しに行くのくらい、当たり前だろう。人任せにしてどうする」
「マジェスティともなれば話は別です。いいですか、ルッテル・ドナにお忍びで遊びに行くのとは訳が違うんですよ?」
「俺にとっては似たようなものだ」
「しかしマジェスティ、御身に何かあったら如何いたします?この私と不肖の息子揃っても、あなた様一人の価値には遠く及びませぬぞ」
ようやっとフィヤンも口を挟む。
「人任せにはしておけない。これ以上口を挟むことは許さん。むしろ俺の提案を実行する方にその頭を使ってくれ、ジール、フィヤン」
これだけ頭ごなしに言うことは、政治の場では決してなかった。大臣達は頭を垂れるほかない。
「…いつ、行かれるおつもりですか?」
ムスティールも諦めて聞いた。
「なにしろ空を飛んでいくつもりなのだから、昼はまずいだろう。夜だな」
「…では、発たれる前に祭祀所へおいで下さいませ。ジンを召喚しておきましょうほどに」
「うん。宜しく頼む。フィヤンとジールは宝物庫から『鉄の馬』を出しておいてくれ。あと、イーエン殺害も含め、このことは一切公にしないように。他の大臣にもな。特に、リヤドには内緒だ。卒倒しかねん」
リヤド、とはリヤド・レギオン。二の大臣であり、ソフィーダの父親だ。
アードなりに気づかったらしい。
「お言葉承り、仰せに従います。…ですが、マジェスティ」
「何だ、ジール」
「一つだけお約束下さい。私と、サラディンの同行をお許し下さると」
今度は、ジールが退かない番だった。
「…お前も物好きだな。サラディンの意志は確かめなくて良いのか?」
「彼がこの場に居合わせたら、同じことを言うはずです。
マジェスティ、重ねて申し上げます。お許しを下さい」
アードはしばらく考え、フィヤンを見て許可を得た後にうなずいた。
時は少し前に遡る。
帝王妃ソフィーダはやっと目を覚ました。
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