帝王妃ソフィーダ
第二十五話

そして寝所に帰ったアードだったが、結局はいつもより早い時間に起こされることになった。タチアナの死が報告されたのである。
 さすがのアード・アル・レストも憤慨し、書庫に居た大臣親子を呼びつけた。
「これだけ後手に回ってるってのは俺の性にあわん。頭にきた」
「どうなさるおつもりなのです?」
「ソフィーダを取り返す」
「そんな、どうやって?」
 ジールの問いに、アードは割と真面目な顔で言った。
「フィヤンとジールが二人がかりで一晩調べて、何も分からなかったわけがあるまい。ソフィーダの居場所は、だいたい掴めているんだろう?」
 大臣親子はしょうがないですね、というように軽く息をついた。
「予想としては。ただ、どうやってそこにソフィーダ様がいるかを確かめるか、いらしたとしてどうやってお助け申し上げるか、が問題なのですが」
「細かいことをぐだぐだ言うな。大丈夫だ、俺に考えがある」
「考え…?」
 親子共々嫌な予感はしたが、仕方ない。
「で、どこにいるんだ?」
 重ねての問いに、とうとうジールが折れた。
「おそらく…マルク灯台だと思われます」


 マルク灯台。
 レスト・カーンとフィオルナは、湾を挟んで向かいにある国である。
 そして、マルク灯台は地形的にレスト・カーンに最も近いところにある灯台であった。
 「鴉の目」について書かれた報告の中に、かの地名が一度出てきたのである。
 その時は、レスト・カーン内に入り込んでいた「鴉」の一人が正体を看破され、自身を鴉に変えてその灯台に逃げ込んだらしい。


 ふーむ、とアードが唸った。
 「ひとまずはそこにおられるでしょう。ただ、他に移される可能性もありますが」
 「だったらなおのことぐだぐだ言ってる場合じゃないだろう。じゃ、行くぞ」
 「どちらへ?」
 大臣親子が異口同音に発した疑問に、アードはめんどくさそうに答えた。
 「祭祀所」 


 祭祀所では、ムスティールが執務室に居るまま眠れぬ夜を過ごしていた。
 ジールとフィヤンを従えたアードが入ってくると、慌てて立ち上がる。
 「マジェスティ…」 
 「居てくれたか、ムスティール。良かった」
 「は、いえ…」
 「期待をしていたなら申し訳ないが、事態は一向によくなっていない。むしろ逆だ」
 「そうですか…」
 予想はしていたが、ムスティールはがっくりと肩を落とした。ソフィーダの安否を案じる心は、アードのそれと変わりはない。たった一人の可愛い妹だ。
 「なにしろ、イーエンが殺された」 
 「は!?」
 ここで、ジールがアードに替わって寵姫殺害の話をする。
 さすがのムスティールもあっけにとられた。
 「さて、そういうわけで俺としてはもう我慢ならなくなったので。さっさと実力行使に出ようと思ったわけだ」
 「…と、申されましても…如何様に?」
 「ふふん」
 アードは悪戯を企む子供のようにふふん、と笑った。
 「『鉄の馬』だ」
 「『鉄の馬』?」
 その場にいた、アードを除く3人が異口同音に言う。
 「おう。我がレスト・カーン王宮の宝物庫に古来より伝わる、魔法のかかった空飛ぶ馬。あれでマルク灯台まで行こうと思う。ついてはムスティール、行くときにジンに道案内と護衛をさせたいので、宜しく頼む」
 「と、おっしゃられましても…」
 かろうじて言葉だけは発すことが出来たムスティール。あとの2人は声も出ない。
 言うことが多すぎて、どこから手を付けていいのか分からない状態だ。
 「…あー…」
 ごほん、と咳をしてからジールが口を開いた。アードの突拍子のなさに一番慣れているのは、やはり彼だった。
 「とりあえずマジェスティ。御自身で行かれるおつもりで?」
 「当然だ」
 「…御自身で行かれる必要など、全くないではありませんか」
 「夫が自分の妻を取り返しに行くのくらい、当たり前だろう。人任せにしてどうする」
 「マジェスティともなれば話は別です。いいですか、ルッテル・ドナにお忍びで遊びに行くのとは訳が違うんですよ?」
 「俺にとっては似たようなものだ」
 「しかしマジェスティ、御身に何かあったら如何いたします?この私と不肖の息子揃っても、あなた様一人の価値には遠く及びませぬぞ」
 ようやっとフィヤンも口を挟む。
 「人任せにはしておけない。これ以上口を挟むことは許さん。むしろ俺の提案を実行する方にその頭を使ってくれ、ジール、フィヤン」
 これだけ頭ごなしに言うことは、政治の場では決してなかった。大臣達は頭を垂れるほかない。
 「…いつ、行かれるおつもりですか?」
 ムスティールも諦めて聞いた。
 「なにしろ空を飛んでいくつもりなのだから、昼はまずいだろう。夜だな」
 「…では、発たれる前に祭祀所へおいで下さいませ。ジンを召喚しておきましょうほどに」
 「うん。宜しく頼む。フィヤンとジールは宝物庫から『鉄の馬』を出しておいてくれ。あと、イーエン殺害も含め、このことは一切公にしないように。他の大臣にもな。特に、リヤドには内緒だ。卒倒しかねん」
 リヤド、とはリヤド・レギオン。二の大臣であり、ソフィーダの父親だ。
 アードなりに気づかったらしい。
 「お言葉承り、仰せに従います。…ですが、マジェスティ」
 「何だ、ジール」
 「一つだけお約束下さい。私と、サラディンの同行をお許し下さると」
 今度は、ジールが退かない番だった。
 「…お前も物好きだな。サラディンの意志は確かめなくて良いのか?」
 「彼がこの場に居合わせたら、同じことを言うはずです。
 マジェスティ、重ねて申し上げます。お許しを下さい」
 アードはしばらく考え、フィヤンを見て許可を得た後にうなずいた。


 時は少し前に遡る。
 帝王妃ソフィーダはやっと目を覚ました。

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