帝王妃ソフィーダ
第二十四話

 後宮に行くついでに、サラディンはレーゼを送っていった。
 サラディンからすると、レーゼは相当に小さい。背丈など、サラディンの肩までもなかった。
 渡り廊下を歩いていると、夜明けの光がうっすらと差してくる。結局、一晩かかってしまった。
 そういえば後宮などで何度もこの警察総監を見かけたことはあるが、こんなに近しくしたのは初めてだったことに、レーゼは気づいた。
 「あの、すみません。わざわざ送っていただいて…」
 「ついでだ。気にするな」
 サラディンの言い方は、ぶっきらぼうにも聞こえる。レーゼは少し小さくなった。
 後宮までは少し距離がある。沈黙したまま歩くのがなんとなく嫌になったレーゼは、また話しかけてみることにした。
 「あの」
 「なんだ」
 「ソフィーダ様は、御無事でしょうか」
 「分からん」
 「御無事だといいな…」
 独りごつように言ってうつむいたレーゼを、サラディンはちらっと見やった。
 「御無事に決まっている」
 「そ…そうですよね。そうでなくちゃ。勿論。誰も、ソフィーダ様に害をなすことなんて出来やしないわ」
 「そうか」
 「だってあんなに美しくて優しくて強くて可愛い方なんて、そうそういらっしゃらないもの」
 「それで害されないのだったら、いいな」
 「…」
 言ったサラディンに悪気はなかったのだが、レーゼはしょんぼりとしてしまった。構わず(というか気づかず)、
 「お前は、マジェスティーナを慕ってるんだな」
 「ええ、勿論!」
 力強くうなずいた。ソフィーダに初めて会ったときから、それは変わらない心だった。
 「城下での人気も抜群におありになるし、後宮でだって、ソフィーダ様を悪く言う人など一人もいませんし。マジェスティだって、口ではなんだかんだ言ってもソフィーダ様が一番だと思っていらっしゃるに違いないです」
 「そうだろうな。そう言ってらしたし」
 「え?」
 レーゼは目を丸くする。
 「今、何とおっしゃいました?」
 「マジェスティがそう言っていらした、と言った」
 「ソフィーダ様が一番だ、って?」
 「そうではないが…一番理想に近い女性だと」
 「ホントに!?」
 「嘘はつかん」
 一気にレーゼの表情が明るくなった。マジェスティが、ソフィーダ様を一番だとおっしゃった!ほら、やっぱりソフィーダ様は一番なのだわ。分かり切っていたことだけど、やっぱりそうなのだ!
 「ソフィーダ様…ソフィーダ様に教えて差し上げたい」
 「それは駄目だ」
 「何故?」
 「同じことを言ったジールに、『言ったら殺す』とおっしゃっていた」
 「…」
 「俺は、マジェスティはソフィーダ様に不満がおありなのだと思っていた」
 「そんな。何故?」
 「マジェスティーナに不満がおありだからこそ、あれだけお忍びを繰り返して理想の美女を求めるのだと思っていた。喧嘩も多かったようだし」
 「喧嘩って言ったって、あれはじゃれあいのようなものではないですか」
 「じゃれあいか…」
 サラディンには良く分からなかった。男女の機微というものは難しい。
 考え込む警察総監が、レーゼには何故か幼く見えた。
 「本当に、分からなかったんですか?」
 「ああ」
 「…」
 「つまるところ、俺は余計なことをしたのかな」
 「どういう意味ですか?」
 「イーエンを献上したのは、俺だから」
 レーゼは何と言っていいのか少々悩んだ。余計…と言えば余計だけれど…。
 それをそのまま言うのは、なんだかサラディンが可哀相だった。
 しばらくその岩を削りだしたような武骨な横顔を眺めて考えた後、きっぱりと彼女は言った。
 「とりあえずですね」
 「ん?」
 「ソフィーダ様が無事、お帰りになればいいです。それで全て丸く収まります。大丈夫、至高のカリューンがお護り下さいます。ソフィーダ様ですもの!」
 今度はサラディンが考え込む番だった。彼は考えた後………。
 「…ありがとう」
 少し笑った。

 寵姫タチアナは、自室でがたがたと震えていた。
 どうしていいのか分からぬまま、全てを正直に話してしまったのだが、果たしてそれでよかったのだろうか。
 とにかく、ソフィーダに害をなすつもりはなかったし、アードに嫌われたくはなかった。それは確かだ。
 フィオルナでの自分の地位など惜しくなかったし、ファーレンダイン王から逃げるために、改宗さえした。後悔などしてはいなかった。
 そして、ただただ、アードが好きだった。そばにいたかった。
 「だから、私は…」
 私なりに、頑張ってきたのに。
 ぽろぽろと涙が流れた。
 五の大臣は最初から冷たかった。この人は到底自分の味方にはなってくれぬというのは、分かった。
 それと対照的に、マジェスティはいつも優しかった。自分のことを可愛いと、好きだと言ってくれて、優しかった。
 端正な顔立ちも、均整のとれた体つきも、皆好きだった。
 出来れば…ソフィーダ様より自分の方を愛してくれないか、とは思ったけれど。
 御子が宿って、その夢は更にふくらんだ。
 …だのに。
 昨夜のマジェスティは、今まで自分がみてきた人とは別人のようだった。
 どうすればいいのだろう。
 自分がソフィーダのことをベヴィア・マイアに話すことを拒めば、きっとあの老婆はためらいもせずにアードに害をなしただろう。それだけは耐えられなかった。
 「だから、私は…」
 結局、マジェスティを助けるためだったのだ。そのために仕方なく、ベヴィア・マイアに話してしまったのだ。ソフィーダ様はお気の毒だと思うけど、仕方ないのだ。
 私はこんなにマジェスティを、お慕いしているのだから。
 「マジェスティ…」
 そうだ、マジェスティにお目にかからなければ。
 お目にかかって、自分の口からちゃんと、あなたを助けるためにやむなくしたことです、そして…愛しておりますと伝えなければ。
 ソフィーダ付きの奴隷からでは、どのように伝わっているか知れたものではない。
 そこまで考えると、タチアナはいてもたってもいられなくなった。
 急いで部屋の扉に向かう。と、丁度一人の女奴隷が入ってきた。
 「タチアナ様、どちらへ?」
 「マジェスティのもとへ」
 「なりません」
 「…?」
 目の前を立ちふさがれ、タチアナは往生した。
 「どういうこと?」
 「タチアナ様」
 奴隷は、うつむいたまま後ろ手で扉を閉める。
 周りに、誰もいなかったことに気づいたときにはもう遅かった。
 さっと奴隷がタチアナの首に手を回す。
 何が起きたのか理解する前にタチアナは首に小さな痛みを感じ、その奴隷に抱きつくように、崩れた。

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