祭祀所へ向かう途中、ジールが後ろにいるレーゼをちらりと見やってから言った。
「先程言いませんでしたが、あの奴隷に関してはもう一つ可能性があります」
「なんだ?」
アードは前を向き、大股でずかずかと歩いている。
「あの奴隷も、マジェスティーナの誘拐に一役かっている、という可能性です」
「…つまり、レーゼの手引きで今回のことがなしえたっていうわけか?」
「あくまで可能性ではありますが」
「それはありえないな」
「何故です?」
「ソフィーダが長いこと傍近く使ってた奴隷だから。それだけだ」
ジールは一瞬あっけにとられたがそれ以上は何も言わず、アードのはやい足取りについていった。
祭祀所の下位神官から、五の大臣がお呼びです、と起こされたムスティールは訝りながらもひとまず自分の執務室に通すよう伝えると、自身の身なりをきちんと整えてからその場に向かった。
着いてみて息を呑む。
執務室にある長椅子に、五の大臣…も居るには居たが、その横に座っているのは帝王アード・アル・レストその人ではないか。
おまけに、その足下にひざまずいているのは…確か、先日妹とともに祭祀所を訪れた女奴隷。
どうやら妹の身になにかあったらしいということまでは、ムスティールも感づいた。 緊張がみなぎる。
「夜中にすまないな、ムスティール」
「御身の上にカリューンの恩寵と平安あれかし。
─とんでもございません、マジェスティ。如何なさいました?」
「まあ、座れ。あ、お前の上にもカリューンの憐れみがあるように」
きっちりと神官らしく口上を述べたムスティールだったが、帝王からはとってつけたような返され方をされてしまった。
珍しい。
ムスティールは、向かいにあった椅子に腰掛けた。
アードが軽くジールを見やって促す。意を受けたジールが、口を開いた。
「単刀直入に言います。 先程、マジェスティーナが何者かに攫われました」
「!」
そしてジールは事件について手短に話し、
「ひとまず犯人の残留品として残っているのは、この鴉の羽だけです。これをもとに、犯人についてジンに訊いて欲しいというのが、マジェスティの御意志です」
「なるほど…」
ムスティールはしばらく考え込む。
「どうした?何か思い当たるところでもあるのか?」
アードの問いに、ムスティールは思い出すように苛々とした感じで答えた。
「鴉の羽、が犯人の残していったものだとしたら、思い当たるふしはひとつだけあるのです。ただ、それがどうしてマジェスティーナの誘拐につながるのかが分かりかねるのです」
「どういうことだ?」
「フィオルナです」
「フィオルナ?」
ふってわいたように出てきた外国の名前に、アードとジールは揃って声をあげた。
湾を挟んで向かい合う国、フィオルナ。異なる神を奉じていることもあり、確かに昔から仲はよくなかったのだが、ここ最近はこれといったもめ事もなく…というよりはお互い積極的に関わることもなかったはずである。
「…ジール、最近フィオルナと何かあったか?」
「いいえ、別に」
「…俺も覚えが無い。で、ムスティール。そのフィオルナと鴉の羽はどういう因果関係があるんだ?」
「確かとは申せませんが。確かフィオルナに『鴉の目』なる組織が存在したと思うのです。王宮付きで諜報や暗殺を行う…要するに裏で活躍する組織です」
「なるほど。そういえば聞いたことはあるな…」
アードもジールも考え込んだ。確かにそう考えると『鴉の目』の仕業、ということもありそうな気はする。しかし、なんだって今、フィオルナなのだ?
「確かとは申せません。ここはやはりジンに尋ねた方が宜しいかと」
考え込んでいる暇はない。ムスティールの言葉に2人はひとまず考え込むのを止め、立ち上がった。
召喚の間。
ムスティール以外の3人は滅多に訪れることがない場所だった。
広すぎるこの部屋は、とてもすぐに部屋の全部の燭台に明かりを灯すことなど出来ない。
レーゼの手の中にあるのとムスティールの足下に置かれている手燭が、今この召喚の間を照らしている全てだった。闇夜なので月明かりも入ってこない。
ムスティールは3人を少し下がらせ、以前ソフィーダの前でしたように魔神を召喚した。
レーゼは一度見たことがある。あどけない少年の様相をしている魔神、マールザワーン。
「ジン、汝、名前は何か」
「マールザワーン」
前の時と同じようにあっさりと魔神は名乗り、くるくると召喚の間を旋回して戻ってきた。じっとしていられない性質なのである。
暗いところで見ると、魔神の身体はぼうっと青く光って見える。おかげで明かりが少なくても見失うことはなさそうだった。
「さて、マールザワーン。時間がないので単刀直入に聞く。そなたは今夜後宮にて起きたことを知っているか?」
マールザワーンは首を振った。
「僕は今日後宮のあたりにはいなかったから。知らないよ」
「ではこれを見てもらおう」
ムスティールは懐から鴉の羽を取りだした。
「…?…」
しばらくマールザワーンは近寄ったり離れたりして、鴉の羽をまじまじと見ていた。
「鴉の羽。だけど鴉の羽。じゃないね」
「どういう意味だ?」
「鴉から自然に抜け落ちた羽じゃない。ええと、なんていうかな、色んな力を感じる」
「それから?」
「それ以上のことは、僕には分からないな」
いたずらっぽく言うと、マールザワーンはぴょんぴょんととんぼ返りをうつ。
「もう一度言う。時間がない。そなたの主、ジンの中のジン、『貴婦人』の名にかけても役に立つ情報を話してもらおう」
ぎょっとした顔でマールザワーンは一瞬硬直する。
「…まさかあなたが『貴婦人』を軽々しく持ち出すとは思わなかった。びっくりだ」
「それだけの事態だということが分かって貰えれば何よりだ。さあ、何かないのか?」
ムスティールも必死だ。可愛い妹の命が懸かっている。彼に任せるしかないアードたちも固唾を呑んでなりゆきを見守っていた。
「…そうだね…今日のことと関係あるかどうかは分からないけど、最近後宮のあたりで、たまに嫌な空気を感じていたよ」
「嫌な空気?」
「異教徒の空気」
「フィオルナか?」
「そこまでは分からないけど。この国のものじゃなかったね」
その時、レーゼが小さく息を飲んだ。
「どうした、レーゼ」
聞きつけたアードが尋ねる。
レーゼは蒼白になりながら言った。
「勘違いでしたら、お許し下さいませ。
後宮には一人だけ、外国の方がいらっしゃいます……………」
「!!!!」
寵姫タチアナ。
鴉の羽に、糸がつながりつつあった。
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