帝王妃ソフィーダ
第二十話

 呼ばれたレーゼより前に、サラディンが帝王の書斎に到着した。
 帝王に恭しく頭を垂れる。
 「夜中に御苦労だな、サラディン」
 「とんでもありません」
 「で、どうだ。捜査状況は?」
 「今のところ、特にこれと言った情報は入ってきておりません」
 「そうか」
 予想されていた返答とはいえ、アードもジールも溜息をついた。
 「…そもそもです、マジェスティ。今回の事件はひどく不自然ですよ」
 ジールが、眼鏡をくいっとあげた。
 「なんでだ?」
 「今、後宮で誘拐されるべきはマジェスティの一の御子を宿している、イーエンですから」
 「確かに」
 「あとは…まあ、客観的に言うなれば、マジェスティーナの生家であるレギオン家と政敵関係にあるところに容疑がかけられるべきですが、そうなると一番は我が家になりますね」
 「…なるほど」
 ジールは苦笑した後、また真面目な表情に戻った。
 「我が家だとしても、その他の大臣家だとしても、正直に申しまして、今マジェスティーナを害してまで争うような要素は思い当たらないのですよ」
 「…とすると?」
 「犯人を推測で決めて動くのは危険です。とりあえず、マジェスティーナは暗殺されたと確認されたわけではない。攫われたのならそれだけの理由があるはずです。下世話なところで、身代金の要求がくれば容易に犯人は知れます。とにかく、今のところは余計なことを考えぬ方が宜しいかと」
 五の大臣の言い分を、帝王も警察総監も容れざるを得なかった。
 暫く、帝王の書斎を沈黙が支配する。

 ほどなく、兵士に両腕を抱えられたレーゼがやってきた。
 可愛らしい顔の片側が腫れている。奴隷頭に殴られた痕だった。…文句は言えない。たかだか一奴隷のミスで、帝王妃が危険に晒されたのだから。
 ─ ソフィーダが見たら、何というやら。
 アードは思ったが、口には出さない。
 「マジェスティ、この者が件の奴隷でございます」
 「御苦労だった。お前達は下がっていいぞ。その奴隷を離してやれ」
 「は、ですが………」
 兵士たちはやや躊躇した。
 「王宮育ちの女奴隷一人、どうってことはない。ここにはサラディンも控えている。いいから離してやれ」
 呼応するようにチン、とサラディンが腰の剣を鳴らした。兵士達は慌ててレーゼを離し、一礼してその場を去る。
 レーゼはその場に平伏した。


 「さて、レーゼ。とりあえず、お前の知っていることを教えてくれ。俺に直接口をきく許可を与える」
 アードが言うと、レーゼは平伏したまま、
 「幸い満てるマジェスティ、栄光の御方、御身の上にカリューンの恩寵と平安がありますよう」
 王宮育ちの奴隷だけあって、礼儀にかなった前口上をきちんと述べた。
 「お前の上にもカリューンの憐れみがあるように。
 ─ 前置きはこのくらいにしよう。顔を上げて話してくれ」
 言われた通り素直に彼女は顔を上げ、ぶしつけでない程度に帝王の顔を見た。
 それから、ソフィーダに星を見ようと誘われたこと、飲み物を所望されたので取りに戻ったこと、その時には周囲に特に変わった雰囲気はなかったこと、戻った時に一瞬見た黒装束の数人のことを整然と述べる。
 アードはそれらを表情一つ変えずに聞いていた。
 「そして、ひとまずは追っても無駄だと思い、辺りを調べました。その時に見つけたのが、この羽でございます」
 懐から鴉の羽を取りだして、床に置く。
 ジールが拾い上げてしげしげと見た。
 「鴉…ですね」
 「からす」
 歌うような調子で、アードは言った。
 「…レーゼ、お前は何故この羽が大事だと思った?」
 「後宮で、鴉を見かけたことはございません」
 「たまたま紛れ込んだとしたら?」
 「…恐れながら、マジェスティ。
 私は生まれてからずっと、後宮におります。それなのに、ただの一度も後宮内で鴉を見たことはないのでございます」
 「…ふぅん」
 アードはやっぱり表情ひとつ変えず、真剣そのもののレーゼを見やった。
 「あと、一つ。お前は何故、その場で手がかりを探すようなことをした?誰かに知らせるほうが先ではなかったか?」
 「それも考えはしました。…しましたが、私が誰かに知らせに行ってる間に手がかりが無くなっていたらと思いましたので…」
 「…ジール、どう思う?」
 帝王は、そこで初めて五の大臣の意見を求めた。
 「…浅慮ですね」
 「何故?」
 「もし、その黒装束の集団とやらが手がかりを残したことに気づいて戻ったとします。その時、手がかりを発見してしまった女奴隷なんかを見たら、まあまず間違いなく消すか攫うか、でしょう。
  話を聞くかぎり、その集団は素人ではありますまい。ぱっと見、完璧に手がかりを残していないとしたら、戻る気など、はなから無かったでしょうね。
 その、鴉の羽が手がかり…だとすれば、意図的に残されたとしか考えられますまい。そこの女奴隷がその場で探さずとも、後からでも見つかった公算の方が高かったと思われます。よっぽど風が強い日とかならともかく、星を愛でることが出来るような穏やかな晩ですからね。よって、この場合その者がまずすべきだったことは、奴隷頭にでも早急に知らせることだったでしょう。
 鴉の羽が意図的に残された手がかりであるとしたら、目撃者もまた、意図的に生かされた可能性の方が高い。その意図がなければ、おそらく殺される可能性の方が高かったのですから、生きているうちに悲鳴か何かあげた方が得策だったかもしれません。
 …そのようなところですが、如何ですかマジェスティ?」
 「そうだな。ありがとう、ジール」
 アードは、レーゼに向き直った。
 「レーゼ、お前は『お前自身』という手がかりを消すかもしれないところだったってわけだ。それは、分かるな?」
 殆ど泣き出しそうな顔で、きっと唇を噛みながらレーゼはうなずく。
 よかれと思ってしたことは、却って帝王妃を救うチャンスを潰していたかもしれなかったのだ。自分の判断力の鈍さを、レーゼは心底呪った。
 「ま、そうがっかりすることばかりでもあるまい。結果的にお前は生きているわけだし、鴉の羽が重要な手がかりだと確信をもって言えたのはよかったことでもある。こいつを有効活用せねばな。
 サラディン、お前は後宮に行ってこれ以上の手がかりがないかどうか確認しろ。ジール、お前は俺についてこい」
 アードは立ち上がって身体を伸ばしながら言う。警察総監は黙って頭を垂れ、五の大臣はやや怪訝そうな顔をした。
 「どちらに向かうのですか?」
 「祭祀所だ。ムスティールあたりを叩き起こせ。その集団とやらは走って逃げるでもなく、煙のように消えたんだろう?なにか術でも使ったか、とにかく尋常な手段ではあるまい。この鴉の羽についても、ジンに聞いてみるのが一番早いだろう」
 「なるほど。
 …この女奴隷はどうします?」
 「とりあえず連れていく。何かの役に立つかもしれん」
  ジールはひとつうなずいた。

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