「マジェスティ、ソフィーダ様、ご無事で!」
ジールが安堵の声をあげる。
「おう、ジール、サラディン、ご苦労!」
落下しながらアードは笑って見せた。しかし、
「ちょっと、マジェスティ。僕の力では三人支えられないし、二人だって運ぶのは不可能だよ?どうするの?」
「えっ、じゃあこれは本当に落ちてるのか。参ったな」
「悠長なこと言ってないで。僕が出来るのは落下速度を緩めるだけだよ!」
マールザワーンが慌てる。
「よし。サラディン!」
アードが叫ぶと、心得たとばかりにサラディンが「鉄の馬」を駆ってくる。彼が落下するレーゼを手を伸ばして受け取り、何とか「鉄の馬」に乗せると、アードは満足そうに笑ってソフィーダを抱きしめた。
「すぐ追いつく!お前たちはここを離れろ!」
「マジェスティ!」
ジールの叫びをよそに、アードはソフィーダを抱えて落下していった。
塔の上では、兵士たちが呆然としていた。
どうやら今の鴉が、本当は鴉ではないということはわかったが、だからどうなるものでもない。
そのとき、下からファーレンダイン王とベヴィア・マイアがやってきた。
「侵入者はどうした」
「も、申し訳ありません、取り逃がしました」
「何!?」
「手傷くらい負わせたのだろうの?」
「そ、それが…」
聞かれた兵士は口ごもる。
「何と情けない。それではみすみす返してやっただけではないか。ここの隊長は誰だえ?」
おずおずと隊長が進み出ると、ベヴィア・マイアはぶつぶつと何事か言った後さっと手を振る。その右手の指輪が光ったかと思った次の瞬間、隊長は醜いヒキガエルになっていた。
「ですがベヴィア・マイア様、五人いたうちの三人はなにやら怪しげな乗り物で逃げましたが、二人は真っ逆さまに落ちていきました。この高さからでは命などありますまい」
慌てて部下の兵士がとりなす。
「馬鹿を言え。レスト・カーンを甘く見るでないよ。そしてこの婆も。
王よ、少し追跡して参りますじゃ。逃がしても大事はなけれど、フィオルナが簡単に引き下がってはなりますまい」
「許す。婆よ、異教徒どもを心胆寒からしめてやれ」
ファーレンダイン王はぎりっと歯ぎしりをした。
アードとソフィーダはマールザワーンの力で、灯台からさほど離れてもいないところにふわりと着地した。
「ありがとう、マールザワーン。ソフィーダ、こっちだ」
礼を言ってアードはソフィーダの腕を掴み、「鉄の馬」が隠してある木立に走る。
果たして「鉄の馬」は無事にあった。よかった、とソフィーダを先に乗せ、自分も後ろに乗る。
「何ですの、これは?」
「『鉄の馬』だ」
「どこにあったのです?」
「宝物庫。詳しい話はあとだ。飛ぶぞ、いいか?」
「飛ぶって?」
ソフィーダがまだ何を把握する前に、アードは左耳のねじを思いっきり巻く。
「置いていかないでよ!」
マールザワーンの叫びをよそに、「鉄の馬」は早くも灯台のてっぺんより遙か上空にいた。
ところが、である。
魔神であるマールザワーンでさえついて行くのがやっとのその「鉄の馬」に、すさまじい勢いで接近してきた鳥がいた。
「なんだこりゃ?」
まだ月はやっとその姿を細く現しているだけなので、暗くてよく見えない。
目をこらしてよく見てみると、
「鴉!」
アードとソフィーダは同時に声をあげる。
鴉にしてはやや大きかったが、真っ黒な羽といい、鋭い嘴といい、鴉に違いなかった。
「ただの鳥、じゃないよなあ…」
アードの呟きに呼応するように、
「嫌だ、異教徒の感じがする!関わりたくない!」
マールザワーンの悲痛な声が響いた。
「やっぱりか。逃げなきゃな」
「鉄の馬」を全速力で進めていくと、途中で心配そうに待っているジールとサラディン、そしてレーゼがいた。
「逃げろ!」
「は?」
三人は面食らったが後ろに大きな鴉の姿を見つけ、どちらかというと本能的に「まずい」と感じて全速力で逃げることにする。
「変なもの連れてこないで下さい、マジェスティ!」
「知るか!勝手についてきたんだ、俺のせいじゃない!」
ジールとアードのやりとりの間にも、鴉はその差をじりじりとつめてきていた。恐るべきスピードである。
ソフィーダはといえば、ひとまずなんとか「鉄の馬」にも慣れてきたところで、アード越しにその鴉をちらりと見た。
「マジェスティ、あの鴉は ― きゃあっ」
言い終わる前に、鴉から電撃が飛んできた。
「うっ、なんて危ねえ鴉だ。冗談じゃないぞ」
「マジェスティ、ご無事ですか!?」
「なんとか!」
言ってる間にも鴉はどんどん電撃を打ってくる。なんとか避けるアード。こんなところで王太子時代に培った「鉄の馬」乗馬法が役に立つとは思わなかった。人間、何事もやっておくものだ。
サラディンもジールも急いで鴉に向かうが、電撃を喰らうわけにはいかないので思うように進まない。
が、対象が分散されたので多少はましになった。
「マジェスティ」
やっとソフィーダが口を開ける。
「何だ?」
「あの鴉は、人が化けているのではないかと思いますの」
「だろうな」
「ご存じなんですの?」
「ベヴィア ― マイアとやらだろう、多分。おっと」
避けながらなので、会話も難しい。
「よくご存じですのね」
「だから、話は後だっ」
「人の話は最後までお聞き遊ばせっ」
ソフィーダはアードの耳をひっぱり、
「あの鴉がその婆だとしたら、指輪を狙ってみて下さいませ」
「指輪?」
「ええ」
アードとソフィーダがちらりと振り返ると、確かに鴉の右足に指輪らしき赤い宝石が光っている。
「あれか?」
「ええ」
ファーレンダイン王に会う前、扇を要求したときにルビーの指輪が光ったことをソフィーダは覚えていたのであった。
「狙うってもどうやって…うわっ!」
「きゃあっ」
アードの頭すれすれを電撃が走った。焦げ臭いにおいがして、ヴェールとかつらが焼ける。
「せっかく被ったのに、冗談じゃない…」
悠長なことを言っているが、当然そんな場合ではなかった。鴉は差を詰めて来ている。
そのとき、ようやくサラディンが鴉の背後に回った。
「サラディン、脚だ!!」
アードは思い切り叫びながらヴェールとかつらをむしり、鴉に投げつけた。
鴉がひるんだ瞬間、サラディンの剣が一閃、指輪の填った脚を正確に切り落とす。
ものすごい悲鳴を上げて鴉は落下していった。
「よーし、よくやった!」
アードは満足げに笑うと、
「帰るぞ!」
言ってソフィーダをしっかりと抱き直し、「鉄の馬」のねじを勢いよく巻いた。
かくして帝王妃は無事、レスト・カーンの地に戻る。
しかし、ここまでが前準備。
フィオルナがこのまま引き下がるはずもなく、帝王妃がこのまま終わるはずもなく。
今度は眠らせないまま、次の幕を上げるとしよう。
美事な帝王妃の真の活躍を、その目が、耳が、心が欲しているであろうから。
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