「何故だ。私は殺せと命じたはずではないか」
「王よ。ただ殺せばいいというものではありませぬ」
声は二つ。中年の男と思われる野太い声と、しゃがれた老婆の声とだった。
言わずとしれた、ファーレンダイン王と「災いの老婆」ことベヴィア・マイアである。
「タチアナ様の場合、子供を産ませてレスト・カーンを内部から喰うという長期の計画を捨て、短期に利用するということであれば、すぐに殺しても構いませぬ。
しかし、レスト・カーン王妃の場合は事情が異なるのですじゃ」
「何故だ」
「人質としても使え、且つレスト・カーンの情報を得るにも役立ちまする」
「…」
「王よ、早まってはなりませぬ。計画がある以上、それを実行するまでは辛抱することも必要ですじゃ。
それより、準備の方は進んでおりますかの」
「ああ、それは昼のうちに確認してきた。もういつでも大丈夫だ」
準備?
アードとレーゼはまた顔を見合わせるが、どちらにも見当がつかない。
「そうですか、では…」
声が突然とぎれた。
まずい、と思うより前に反射神経でアードはレーゼの手を掴み、その場を離れた。
果たして、扉がゆっくりと開く。
その時にはもうアードとレーゼの姿はなかった。
「どうした、婆」
まだ不機嫌そうな顔のファーレンダイン王が尋ねる。
「いえ…」
災いの老婆は、その二つ名にふさわしく不気味な微笑みを浮かべた。
「鴉に化けた鼠が二匹、入り込んだのですじゃ。
婆が思うたより大きな鼠でしたがの。しかし、これでこそ鴉の羽を落としたり、小細工をした甲斐があったというもの。クックッ…」
「あれが、『災いの老婆』かな!?」
バレている、と本能で悟ったアードはなりふり構わず、レーゼの手首をひっつかんで走っていた。
階段、階段…と探し、見つけて駆け上る。
こうなるとスカートがうらめしい。何度も転びそうになった。
「大丈夫ですか、マジェスティ」
「構うな、とにかく駆け上れ!」
帝王妃は、はるか上の階に居た。
どうしたものか。
一日かかって出来たことと言えば、窓の鎧戸をほんのわずかに上げるだけだった。他にも「扉に体当たり」「仮病」「見張りの兵士説得」「隠し扉捜索」等々色々試したのだが、疲れただけで終わってしまったのだった。
鎧戸にしても、外の景色は少し見えたが「海は広いな大きいな」というところである。そして、灯台があるせいかかなりの数の船が見えた。
相当な高さのあるところだということも分かったので、鎧戸を開けられたところでどうにかなるものでもないという事実も判明してしまった。
「困ったわねえ…」
ソフィーダは昨日から何度も繰り返した台詞をまた吐き、ベッドに座り込む。
それでも、絶望はしていなかった。
今頃レスト・カーン王宮では自分が居なくなったことが知れているはず。捜索も行われているだろう。ここに居るというのを突き止めるのは至難の業だろうが、なんとかなるに違いない。
ならなかったらならなかったでその時。帝王妃の名誉の為、慎ましく自決するのみだ。
「なにごともカリューンの思し召し通り、だわ」
ソフィーダはそう構えていた。
灯台だけあって高い。
二人は息を切らせながら上っていた。
階段は螺旋状になっている。どうやら階の一番端にあるらしく、次の階にたどりつくとまっすぐにのびる廊下が見えた。
反対側のつきあたりまではさほど遠くないので、次の階にたどり着く毎にざっと見渡せば様子は分かる。今までの階には誰もいなかった。
それにしても、とアードはうんざりする。やっぱり灯台じゃなくて砦だろう。
そしていい加減息も切れてきたところで、
「…居た」
見張りの兵士がいる階にたどり着いた。
「どうしますか、マジェスティ」
「連中が部屋の鍵まで持っててくれると助かるんだがな…ひとまずどけないと話にならん」
ここから見える限り、兵士は二人。勿論、帯剣している。
アードもレーゼも短剣しかもっていないので、不利といえば不利だ。
「鍵を持ってなかったらどうします?」
「取ってこさせる。ま、ひとまず俺の指示に従ってくれるか、レーゼ?」
しばらくの後、レーゼは、階段から一気に駆け寄った。
「なんだお前は」
兵士からうさんくさそうな目で見られる。
「鴉です。たった今レスト・カーンから戻ったのですが、どうやらかの国の者にここが分かった様子。マジェスティーナを奪還するべく軍勢が送り込まれているとか」
「なんかさっき、上になにか来ているとちらっと聞いたが…そいつらのことか?それが狙いなのか?」
「はい」
これは嘘ではない。
「なのでベヴィア・マイア様の命により、マジェスティーナを余所に移すことになりました。急がねば、上はもうもちません。私に連れてこいとのことです」
「そんなことを言っても…俺たちは鍵を持ってないぞ。下の、鍵置き場にあるんじゃないのか?」
「ええっ、そんな…私、なんておっちょこちょいなの!?急いで駆け上がってきたから鍵なんて持って来忘れて…」
いかにもがっくりと肩を落とし、悲しそうな顔をしてみる。
「どうしよう、もう一度下に戻っていたんじゃ間に合わない…その間に上が突破されてしまう。どうしたらいいのかしら、どうしよう…ベヴィア・マイア様は厳しいお方だからそんなことになったら私なんて簡単に消されてしまうわ。どうしたらいいんだろう…」
もうこうなったらなんでもこいだ。大きな瞳から涙をぽろぽろと流す。
果たして、兵士達はおろおろとした。
「何も泣かなくても」
「そうだぞ、泣いちゃだめだ」
「ありがとうございます、でも、私…」
「おい、確か隊長が予備の鍵を持ってたんじゃないか?」
「あ、そうだったかも」
「えっ…?」
レーゼも上手い。涙で潤んだ瞳に期待を浮かべて、兵士達を交互に見る。
「うん、いざというときのために鍵は下の鍵置き場と、隊長の腰に下げたポーチの中と、二ヶ所にあるんだ。隊長は今、すぐ上で戦ってるはずだ。そっちならうんと近い」
「本当ですか!?ありがとうございます」
兵士達の手を取って、レーゼはまだ涙いっぱいの瞳のまま嬉しそうに笑ってみせた。
「じゃあ、俺が隊長に言って貰ってきてやるから。何、すぐだ。ちょっと待ってろ」
片方の兵士が言うが早いが走り出す。ありがとうございます、とレーゼは頭を下げた。
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