帝王妃ソフィーダ
第十八話

 「以上でございます、王よ」
 フィオルナに戻ったベヴィア・マイアは、ファーレンダイン王の前でいっそ淡々と述べた。
 タチアナと会ってから一日と経っていない。常人には不可能な移動も、禁断の魔術を味方につけたこの婆にとっては雑作もないことだった。
 ファーレンダイン王は深い溜息をついた。
 「そうか…」
 行方不明だった自分の妃が、よりによって昔から因縁のある敵国レスト・カーンで、「寵妃」という位を授かっている。
 公から考えても、私から考えても、複雑な心境にならざるを得ない王だった。
 「それで、婆はどうするつもりなのだ?」
 「勿論、お役に立っていただきまする。快くレスト・カーンに居ていただく義理はありますまい」
 「…婆ならそう答えると思っていた」
 「無理に連れ戻したところで、あの妃に使い道はございませぬ。それよりはかの地に居て、我が国の為に役立ってもらう方が得策と言うもの。労せずしてレスト・カーン王宮への足掛かりを築いてくれたと思えば、安いものですじゃ」
 「子供も産ませる気か」
 「産んでもらってもよろしいでしょう」
 「…その子供を、どうする気だ?」
 「帝王の位についてもらうもよし、こちらに帰ってきていただくもよし。まだ分かりませぬな。時が熟してから考えることですじゃ」
 要するに、まだ手駒を一つ持ったに過ぎないのだ。慎重に考え、ありとあらゆる布石をしておく必要があった。
 もう一度溜息をつくと、ファーレンダイン王はふとあることを思いついた。
 「婆。そなたに一つ頼みたいことがある」
 「何なりと。王よ」
 「要するに、妃はかの国で正妃ではないのであろう?」
 「残念ながら」
 「…だとしたら………」
 ファーレンダイン王は、急に声をひそめる。
 胸のうちを聞かされたベヴィア・マイアの目が赤く光った。

 アードはそれから、当てつけのようにタチアナを大事にするようにしていた。
 こうなると微妙に政界にも変化が出てくる。
 一の大臣と五の大臣 ─ つまり、ジールの父親であるフィヤン・ガリスとジールの間でもそれについての話はされていた。
 勿論、場所は王宮ではなくガリス家の書斎となる。
 当主であるフィヤン・ガリスは息子と少量の酒を前に、少し考えるように言った。
 「あのイーエンは、お前が一度うちに連れてきた奴隷だったな。警察総監からの貢物ということだが、うちも後見であるということにした方がよいだろうかね」
 「その必要はありませんよ、父上。僕があの奴隷をうちに連れてきたのは、何も後見の為じゃない。所詮は奴隷です」
 ジールにとって、父の考えは予想できなかった範囲のことではない。こともなげに言ってのけた。
 「しかし、ガリス家にとっては後見対象の妃が居た方がいいだろう?うちには娘もいないことだし」
 「およしなさい。…要するに父上は、レギオン家に負けまいとしたいわけでしょう?」
 レギオン家とは、ソフィーダの生家である。当主でもありソフィーダの父親でもあるリヤド・レギオンは二の大臣だった。
 「レギオン家だけではない。大臣は他にもいる。大臣の位を狙っているものもな。用心するに越したことはないのだよ、ジール」
  伊達に数十年も政界に身を置いてきたわけでも、一の大臣の位にいるわけでもない。フィヤンには「老獪」という言葉がよく似合った。
 その血を受け継いだジールも、伊達に若くして五の大臣の位に居るわけではない。
 「だとしたら、父上。我らガリス家は中立、あるいはマジェスティーナ側に身を置くべきですよ。あの奴隷はマジェスティーナにはなれない。ソフィーダ様に子が出来れば、地位はあっという間に瓦解します」
 「出来るかどうかは分からんだろう」
 「まあそれはそうですが」
 フィヤンは豊かな白い顎髭を撫でてふーむ、と唸った後、何でもないように言った。
 「ジール。どちらに恩を売っておいたほうが得策か、ということも考えておかねばなるまいよ」
 「僕は、父上ほど器用ではありませんから。どうやったらマジェスティの御機嫌をそこねないか、そこにばかり腐心しておりますよ」
 親子はしばらくお互いの腹をさぐるように見つめあった。
 「ま、とりあえずしばらくはお前の言う通り、中立を保っておいた方がいいだろうね。急いで動くこともあるまい」
 「多分、我々が動かなくても他の大臣が動くか ─ それともあのイーエン自身が何かやらかすかな。まあ、動きがないこともありますまい」
 ジールがこの時何気なく言った言葉は、遠からず現実となることになる。

 色々な人々の思惑を孕み、物語は終息へ向かっていく。
 美事な帝王妃の、本当の活躍が始まるのはこれから、これから。
 それを楽しみにしてもらうことにして、一度、また休むこととしよう。

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