帝王妃ソフィーダ
外伝
レギオン家のソフィーダ

 ムスティールは妹を置いて大神官の部屋に向かっていた。
 その部屋は神学に関する本でびっちりと埋まった書斎のような部屋である。
 祭祀所の最高責任者の部屋としてはあまりにも狭かった。
 本当はもっと大きな私室があるのだが、現大神官ウルマリクはここが気に入っている。
 もう七十歳に手が届こうかという老人だった。神官の制服である鬱金色のローブを着、大神官の印である赤い布を頭に巻いている。
 その大神官は、若き熱心なカリューン信徒であるムスティールに好意を寄せていた。
 良家の子息にありがちな傲慢さが微塵もなく、澄んだ目をしている。
 忙しい仕事の間を縫って時間を作ろうとするだけの何かがあった。もっとも、今日はこの少年に会うのも仕事のうちだったのだが。
 「大神官様、貴重なお時間をいただきましてありがとうございます」
 部屋に入ったムスティールはまずきちんと頭を下げた。
 「構いませんよ。カリューン信徒に尽くすのが私の役目です。貴方とてカリューン信徒。なにもお礼を言われるほどのこともありません。さ、こちらに」
 ムスティールは顔をほころばせてウルマリクのそばに行く。連れてきてくれた神官は下がっていった。
 ウルマリクは部屋窓際にある大きな机とセットになった椅子に座り、ムスティールにも側にあった小さな椅子を勧める。
 「こんな狭いところで申し訳ないかもしれないが」
 「いえ。わたしはここが好きです。いつか、ここにある本を全部読んでしまいたいと思っています」
 「それは頼もしいお言葉だ」
 ムスティールは、今の言葉がお世辞にきこえたのかと少し不安になった。少なくとも彼の中では本気でそう思っていたから尚更だった。だが、そんなわずかな焦燥は次のウルマリクの言葉でたちまち消えた。
 「それで本日は…妹御のことかな」
 気を取り直し、ムスティールはうなずいた。

 ジールとソフィーダは、別の神官に案内されて祭祀所を見て回っていた。
 大きな図書室や祈りの間、中庭などを見せてもらう。
 王宮の中にある施設だからとも言えるだろうが、とても綺麗で豪奢だった。
 「ここはカリューン信徒の拠り所です。国内外からカリューン信徒が集まってくる。信徒の長であるマジェスティの権威を示すこともあって、このように綺麗に作られているのです」
 神官はそう説明してくれた。
 ソフィーダは単純に綺麗だなと思って見ていたのだが、ジールは少し違ったらしい。
 「フィオルナとは違うんですね」
 「ジール殿は他国の王宮のこともよく勉強していらっしゃる。その通りです。あの国の王は異教徒ですが信徒たちの長は兼ねていない。世俗の権力と宗教上の権力は別だと考えているようです」
 「どうしてなのですか?」
 「そうしないと堕落するからのようですよ」
 「ダラク?」
 この声はソフィーダである。そんな難しい言葉はまだ分からない。
 「ああ、申し訳ない。少し難しかったかな。要するに、駄目になっていくということです」
 「なぁぜ?」
 「お嬢様ももう少し大人になればおわかりになりますよ」
 ソフィーダはあっというまにむくれた。そういう言われ方をするのは大嫌いだった。知ったかぶりしちゃって、気に入らないわ。そう言っている人に限って本当は何も分かっていないのよ。
 ジールはといえば、熱心な顔でうなずいている。
 ― この子、本当につまらないわ。
 ソフィーダがそう思って見限ろうとしたとき、彼が何気なく言った。
 「君は、分からないの?」
 「!」
 「分かるわよっっ!!」
 殆ど反射のみで、ソフィーダは叫んだ。
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