〜前回のあらすじ〜
 メルメ1世に言い負かされたセルジオ王子は歴史の勉強に。そしてマリアはメルメ1世の部屋に呼ばれた。一体、何の話なのだろうか?

 

 メルメ1世の部屋は城の南側にあり、日当たりがとてもよかった。
 それを活かす為に、大きな窓もある。同じような窓はマリアの部屋にもあり、彼女にとっては新鮮だった。アイルーイで彼女がいた建物は古く、こんなに大きな窓はなかったのだ。昨日は忙しくて気にもとめなかったが、今日落ち着いてみると、嬉しい。
 そして今、彼女はメルメ1世の部屋に来ていた。
 「姫、こちらへ」
 部屋の主は、この部屋で一番存在感のある大きな机に向かっていた。
 何か書いていたのを中断して、顔をあげる。
 「はい」
 マリアは素直に机の向いに進んだ。
 「あ、いや、そちらではなく。こちらへ」
 メルメ1世は机に隠れて見えなかった自らの横の小さな椅子を指す。また素直にマリアは机を回り、その小さな椅子に腰掛けた。
 横の窓から入ってくる陽が暖かく、居心地がいい。
 「さて」
 メルメ1世は椅子ごとマリアに向き合った。
 「セルジオと話す時は、いつもこうやって向かい合うのですよ。本気で話すための、決まりごとのようなものです。お気を悪くなさらないで下さい」
 「気を悪くだなんて、そんな」
 確かに、こんな風に向かい合って誰かと話すというのはマリアにとって初めてのことだったが、嫌ではなかった。
 「あやつはどうです?まだ11歳なので、夫という年ではないが…」
 「セルジオ様ですか?いい方だと思いますわ。お年の割にしっかりしてらっしゃるし、お優しいですし」
 「そうですか。いや、お気に召していただけたのなら何より。私もそれなりに心配でして」
 メルメ1世は大きく息をついた。
 「陛下。では私の方から1つ、よろしいですか?」
 「何でしょう」
 「クスコが、アイルーイの後ろ楯が欲しいのは分かります。北には軍事大国のレストカがありますものね。建国したばかりですから、サゼスの残党も気になるところでしょうし。
 陛下に私の姉、ル・エリザベラ・アイルーイが嫁ぐのが本当だとは思うのですが、そうお出来になれないわけは昨夜、セルジオ様から伺いました。でしたらセルジオ様にというのは分かるのですが、私は…妾腹ですし、セルジオ様より4つも年上です。年の頃と重みを考えたら、正妃の娘であるエルメンリーアが相応しいと思うのですけれど」
 「…」
 メルメ1世は、黙ってマリアの話を聞いていた。それに気づいたマリアは、
 「あの…わ、私がセルジオ様を嫌だというわけではないんです。でも、何か…気になって」
 おたおたとしながら言い、言うことがなくなってうなだれた。
  「姫」
 びくっと体をこわばらせる。
 「同じ質問を、あなたは自分の父君や母君にされましたか?」
 意外にも優しい声で言われたので、かえってびっくりした。
 「いえ…」
 「どうして?」
 「それは…」
 「─ 怖かったのかな?」
 「お父…様は滅多にお会いできないし、お母様は、そんなこと…お分かりにならないし」
 よく考えてみればひどい言い草である。
 「そういうことではなく」
 メルメ1世は、マリアの顔を覗き込んだ。
 「姫が、その質問を父君や母君にされたかどうか。それが問題なのです。─ されなかったでしょう?」
 マリアは黙ってうなずいた。その時、なぜか涙が一粒、落ちた。
 「可哀想に。それでは、何も知らずにクスコに来たんだね」
 ─ 可哀想に。
 その言葉が、マリアの胸を打った。涙の続きが溢れた。
 メルメ1世が頭を撫でてくれる。
 「王家に生まれたから…仕方ないんです…私は、二番目の姫だから…仕方…」
 しゃくりあげながらマリアがやっとそれだけ言うと、メルメ1世が少し強引にマリアの頬を手で挟んだ。
 「姫。『仕方がない』とは最も言ってはいけない言葉だよ。
 正直に話そう。それが、あなたにとって最も礼儀にかなっているような気がする。
 セルジオがどう言っていたかは知らないが、私がエリザベラ王女をもらえばすんだ話なのだ。事実、この国のためにアイルーイの後ろ楯を欲しがっていた臣下たちは、初めそう言っていた。
 しかし、私がそれを拒んだから。ネーナ…亡くなった妻がね。私の唯一人だったから…」
 そこでメルメ1世はマリアの頬から手を離し、大きく溜息をついた。
 「だから、アイルーイから、エリザベラ王女はやれぬと言われた時は却ってほっとしたのですよ」
 ─ …。
 マリアはショックを受けるより、何となく納得してしまった。そうだったのか、と。やはりお姉様が欲しかったのだ。それを断られたから、私なのだ。建国したばかりの国に、しかも30近く年の差がある人のところに、お父様がお姉様をおやりになるはずがない。
 メルメ1世は続けた。
 「そして、あなたとの話が持ち上がった。最初は、やはり私とということだった。
 しかし、姫の人となりなんかをちらほら耳にするうち、私よりもセルジオとの方がよいような気がしてきた。ネーナのことを抜きにしても」
 「…?どうしてですの?」
 「姫は、何のお勉強がお好きですか?」
 「歴史…です」
 クスコにきた目的に、この大陸最古の王朝、サゼスの史料があることは否めない。というか、それが大半と言った方が正しかった。本当にあった様々なことを少しずつ自分で知っていくことが、マリアにはとても楽しいのだ。
 だが、それと何の関係があるのだろう。
 マリアの涙はいつのまにか乾いていた。
 「それと、あなたはおいくつですか?」
 「15…です」
 「ね。それだけでセルジオの方に相応しいでしょう?」
 わけが分からない。
 「あの」
 「そしてとてもお綺麗だ」
 「は?」
 「アイルーイから姫の肖像画をいただいてセルジオに見せた時、あやつがどうしたと思う?耳までまっかにして…ククク」
 余程可笑しかったのか、メルメ1世は思い出し笑いをしている。マリアはどうも取り残されたような気がして仕方がない。
 綺麗かどうか。決して醜くはない…とは思うけれど、エリザベラお姉様に比べたらとてもとても自信など持てない。
 そんなマリアの不安を見抜いたのか、メルメ1世はにっと笑った。
 「姫は自分が思っているより、はるかに魅力的だ」
 「…ありがとうございます。よく分かりませんけど」
 本当によく分からなかった。だって、誰もそんなこと言わなかったのだ。二番目の姫だったから、一人で公の場に出ることはなかった。そして姉妹達と一緒だと、必ず皆の興味は比類なき美貌を誇るエリザベラか、抜群の愛らしさをもったエルメンリーアにいったのだ。エルメンリーアが生まれる前は、父王が溺愛していたライラだった。
 「これから分かって下さい。姫の存在が、どれだけクスコにとって重要か。
 あなたが学んだ歴史の中には、いろいろな王朝がどう起きて、どう滅んだかということが少なからずあったと思う。あなたはそれをセルジオに教えられるし、このクスコをどう治めていくのがいいのか、あやつと共に考えることができる。
 そして年上のあなたの言うことは、あやつもよく聞くだろうと思う。それに、年上の奥さんはいいものだというしね。
 あとはとてもお綺麗だから、セルジオも臣下も、正直に言うと私も、嬉しいのだ」
 「…私」
 「そうそう、ついでにアイルーイの姫君だ。その名だけでレストカも、サゼスの残党も容易に手が出せないだろうな。臣下も安心だ」
 「─ 陛下」
  大きく息をつきながら、マリアは言った。
 「それは、かいかぶりというものですわ。私は、そんな姫ではありません」
 「では、そんな姫になっていただく。
 王家に生まれた以上、この国に来たのは仕方ないのでしょう?」
 自分のセリフを出されては、うなずくしかない。
 「こちらはそれだけの期待をしている。あなたには、出来るはず。
 この国にとって、たった一人の姫なのだから」
 さっと展望がひらけた気がした。それが、嬉しいということに気づくのに少し時間がかかった。自分はもう二番目ではないのだ。
 たった一人だと言ってもらえる。居場所がここにある。するべきことがあり、目指すものがある。─ これが嬉しくなくて、何だろうか?
 「陛下。陛下がお父様でしたらよかったのに」
 マリアの声音は、今までと違っていた。同じように明るい声ではあったが、意志がはっきりしていて、少し甘さがあった。少なくとも、メルメ1世には分かり、彼はマリアを息子の嫁に選んだ自分の選択が正しかったことを確信した。
 「もう親だよ、可愛い、私の娘だ。あなたが幸せになってくれれば、私がセルジオに結婚を押しつけた罪は軽くなる。─ 非常に利己的だがね」
 おどけて片目をつぶる。マリアは笑い、
 「では陛下、娘なのですから『マリア』とお呼び下さいませ」
 「ううむ、そうか。慣れなければ。─ あー、では、マリア。や、照れるな。私のことも『お義父様』とか呼んでいただけるかな?」
 「はい。─ お、お義父様」
 そこで2人は一瞬止まり、それから幸せな大笑いをしてしまった。