一年の約束

 

 3.

 時は少しさかのぼる。セルジオが国境の砦を出る前日。
 ハイトの私室で、「フェルディオーレを妃にする気があるか?」と訊かれたセルジオは、正直返答に困っていた。
 ─ 何でそういう話になるんだろう。
 自分にはもうマリアという美しい妃が居て、それでもう満ち足りている。
 フェルディオーレはまだ11歳だし、そんな対象としてみたことはなかった。
 「どうだと訊かれても…。僕には考えられません」
 「そりゃ、その気はないってことでいいな?」
 「…僕は構いませんけど」
 ふーぅ、とハイトは溜息をついた。
 「そう迷いなく言われると、それはそれで…なんというか、あれだなあ」
 「…そんなこと言われても。フェルディオーレは僕の…なんていうか、妹みたいなものだから。これ、見てもいいんですか?」
 父からの手紙を軽く振ると、ハイトはん、とうなずいて促した。
 開いてみたそれは、ごく簡素な文だった。
 『拝啓 サッカルー侯爵殿
  うちの愚息を預かってくれてありがとう。友誼に感謝している。
  御依頼の件だが、判断は本人に任せようと思う。
  側近たちはむしろ歓迎するだろうし、セルジオが私の頑固な考えにつきあう必要はない。
  王太子妃も、アイルーイ王室の出だからその辺は分かっているだろう。
  そういうことなので、本人に聞いて貰えるだろうか?  フェバート』
 …。
 セルジオは溜息をついた。…至極父らしい。
 「結局、フェル坊がお前のことを好きらしい。もうすぐ帰っちまうってシュレインの前でしょげていたらしいんでな。親バカのシュレインが一応訊くだけ訊いてみたらどうだろう、っていうから、フェバートに打診してみた。お前にいきなり訊いても困ると思ったからな。すまん」
 「…え?」
 セルジオは面食らった。フェルが?僕を好きだって?しょげていたって?いつの話だ?
 「ま、気にするな気にするな。この話は終いだ。悪かったな、妙なこと言って。フェル坊には内緒な。さ、宴会だ宴会。飲むぞ、セルジオ!!」
 ハイトはさっさと話を切り上げた。

 

 終わりだ、と言われて煮えきれるものでもない。
 しかしその後はすぐセルジオの送別会と称した大宴会が始まってしまったため、どうしようもなかった。
 上の空で挨拶をし、酒を飲み、人々が騒ぐのをぼんやりと見ていた。
 その後、はっと目に入ったのはティレックだった。今しも、どこかの女性に声をかけようとしている。
 慌ててセルジオは駆け寄った。
 「ティレック!」
 「ん?」
 美貌の彼は、やや迷惑そうに振り向いた。
 「…話があるんだけど」
 「んー?」
 一瞬、ティレックは声をかけようとした女性を見、それからセルジオに向き直った。
 「…お前がここにいるのも今日までだからな。いいよ。どうした?」
 「うん…」
 「よし、んじゃあっちに行こう」

 

 ティレックは、セルジオを少し離れた、目立たないテーブルに連れて行った。
 勿論、料理と酒は中央のテーブルからごっそりと取ってきてある。
 「それで?」
 喧噪を横目に見つつ、ティレックが促した。
 「うん…」
 セルジオは手短に、フェルディオーレの件を話した。
 「ああ、何かと思ったらその話か」
 こともなげにティレックは言い、くいっと酒を干す。
 「知ってたの?」
 「はっきりとは聞いてないが。まあ一応、俺もフェルディオーレの兄だからな。そうなるんじゃないかという予測はしていた」
 「そうなのか…」
 自分はひょっとして、鈍いのではないだろうかとセルジオは思った。どうやったらそういうことに気づけるようになるのだろう。
 「でも、断ったんだろう?それ以上何かあるのか?」
 「とりあえず断ったけど…いいのかなって」
 「いいも悪いも、その気がなければ断ればいいだけの話だろう。王太子妃もいるんだし」
 「それはそうだけど」
 「俺に言わせれば、何も今すぐ決めなくてもいいとは思うけど」
 「…?」
 向こうでは、主役がこんなところでせつせつと人生相談をしているというのに、兵士達が大いに盛り上がっている。無礼講だ。
 ティレックはその風景を見ながら新しい酒をコップに注いだ。
 「今はなんていうか…セルジオもフェルディオーレのことは、よくて可愛い妹くらいにしか思ってないだろう?」
 その通りだ。セルジオはうなずいた。
 「フェルディオーレもあの通り、まだ幼いから。恋に恋してるようなものだからな。どうとも言えないさ。しょげてるって言ったって、思いつめてどうこうなるレベルじゃない。だから、今すぐに結論を出さなきゃいけないって話ではないさ。
 例えば、セステアに帰ったセルジオはフェルディオーレが如何に自分にとって大切な存在であったかを離れてみて初めて知ったのでした ─ っていうのも、ありえない話じゃないだろ?」
 「…あ」
 セルジオは、どうしてか不意に旅立つ前の日にマリアと交わしたキスを思い出した。
 感触が鮮やかに蘇る。
 「…そうか」
 「ん?どうした?」
 「フェルのことは、帰ってから考える。今の僕はあの子をティレックの言った通り、可愛い妹くらいにしか思えない。だけど、帰ったら変わるかもしれない」
 「そうなのか?」 
 「分からない。でも帰ってマリアにキスしてみないと分からないんだよ、多分」
 「ほほう」
 ティレックはニヤリと笑った。
 「面白いことを言うもんだな。
 いいぞ、キスの価値と意味を知る男は女を殺せる。俺が保障するよ、セルジオ」